経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策

「経済政策で人は死ぬか?」の答えはイエスだということを、この本では1930年代の大恐慌期、ソ連崩壊後の旧ソ連、東欧諸国の経済混乱、アジア通貨危機リーマンショック以降の金融恐慌(アイスランドギリシャ)の歴史的経験と、医療制度の改変、失業対策、住宅政策の事例から説明している。重要なのは、大不況による経済停滞そのものではなく、経済停滞から回復するための経済政策の実施の中でこのようなことが起こったということ。

この本では「自然実験」(natural experiment)を利用して世界や国レベルで経済的なショックなど同じ出来事が起きた時に異なる対応をとった地方自治体(例えばアメリカの州)や国(EU内の異なる国)で、死亡率や貧困率などのマクロな統計データでそのような変化が出ているかを検証している。例えば、第1章ではニューディール政策時のアメリカの州別の違い、第2章のソ連崩壊後の旧東側経済の混乱では、死亡率の急上昇していたロシア、カザフスタンラトビアエストニアと、そうでなかったポーランドベラルーシスロベニアチェコの違い、第3章ではアジア通貨危機の際にIMFの勧告によって緊縮政策をとったタイ、インドネシア、韓国と、IMFの支援を拒否し、独自の財政出動をとったマレーシア、第4章では第5章ではリーマンショック後の金融恐慌で大きな経済ショックを受けた2つの国、アイスランドギリシャ。いずれも、財政緊縮によってセーフティネットを小さくした地域や国で死亡率や自殺率、感染症による死亡などが見られ、セーフティネットを維持・拡大した地域や国では死亡率は経年的な減少を続け、自殺率、感染症による死亡に大きな変化はなかった。

結論部分に描かれている「不況下での政策決定はどうあるべきか」をまとめておく。

  • 有害な方法は決してとらない:民主主義を本当に機能させるためには、政策の効果と副作用がわかっていなければいけない。政策に対する厳しい評価が必要。
  • 人々を職場に戻す:不況時の最良の薬は安定した仕事であり、失業や、あるいは失業への不安が健康を悪化させる強力なトリガーになる。失業者に対しては、積極的労働市場政策(Active Labor Market Policy: ALMP)のような政策が有効。雇用創出のための政府支出を行う際には、政府乗数支出のセクター別の違い(保健医療と教育分野は高い)に留意すべき。
  • 公衆衛生に投資する:不況で国民が苦しんでいれば、政府はその国民を看病するのが基本。国民を失業や貧困から守り、支払い能力でなくニーズに基づく医療を提供する。疾病予防対策は普段は注目されないが重要である。

それから政策決定の上にあるこの政策目標。

経済を立て直す必要に迫られたとき、わたしたちは何が本当の回復なのかを忘れがちである。本当の回復とは、持続的で人間的な回復であって、経済成長率ではない。経済成長は目的達成のための一手段にすぎず、それ自体は目的ではない。経済成長率が上がっても、それがわたしたちの健康や幸福を損なうものだとしたら、それに何の意味があるだろう?

この本、原書Kindle版が出ているが*1、日本語版は残念ながら紙の本しかない。日本語版もぜひKindle版を出して欲しい。

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策

*1:しかもお値打ちで手に入れやすい。