魔法の世紀

3月末からの長い出張の最終段階で読み始め、帰国を挟んで一週間ほどで読み終えた。この先の世界のことをワクワクさせてくれるような、コンピューティングと文化、世界がどんな風になっていくか、筆者のビジョンを感じることができた。
「あとがき」で筆者は人間とコンピューターの決定的な違いは、人間はモチベーションとビジョンを持つことだろうと書いている。その「ビジョン」とは何であるかをこの本自体で示している感じがした。
筆者は20世紀を『映像の世紀』とラベリングし*1、それに対して21世紀を『魔法の世紀』とラベリングしている。コンピューティングがより発達していくことによって、コンピューターが情報空間の中の存在から物理空間に広がっていく(著者は「情報が情報社会から染み出していく」と表現している)。
そんな中でインタフェース(人が情報を認識し、扱う方法)の研究者であり、メディアアーティストである筆者が、

  1. この2つの分野の方向性をどう考えるか、
  2. コンピューティングの発達の中で、人間との関わりや社会とのつながりをどう捉えるか(コンピューティングにおけるプラットフォームと都市の類似性、『映像の世紀』の時代のデザインー設計−生産の分化が再接続、人間中心主義を超えたメディアの発達)

が書かれている。
それから、この記述が気になった。

自ら問題=文脈を作り出して、自らのユースケースによって解決していく行為ほど、現代において高付加価値を生み出す戦略はありません。

僕たちのコミュニティは島宇宙化し文脈は飽和しています。そういう状況で、プロダクト自体が伊豆からの文脈を持ち、さらにその文脈の中で自分がいかに有用であるかを述べることは、価値あるプロダクトであることをプレゼンテーションする強力な手法になります。

この章では問題設定と問題解決を同時に行うのが大事であると書きましたが、今後の人工知能の発展は、その大前提を崩す可能性を秘めています。

魔法の世紀

魔法の世紀

*1:技術的にも、人々の認識の共有においても、メディア論が発達したことすべてを含んでいる。