科学の発見

8月初めにジンバブエで読み始め、ナミビアに移ってきて読了。

この本は科学的な研究方法の発見に関する本。著者は1979年にノーベル物理学賞を受賞した、素粒子物理学の第一人者で「標準モデル」の名付け親。そのような研究者としても著名な筆者が、現代の科学的な方法の視点から古代ギリシャからニュートンの時代までの、自然科学の中でも物理学・天文学を中心とした歴史を振り返っている。

この本では現在の評価の視点で過去の科学的方法を評価する「ウィッグ史観」のアプローチが取られており、歴史学の方法としては掟破りということで原著が出版された時点で論争を巻き起こした。これに対して筆者は、

政治や宗教とは異なり、科学的知識は蓄積されていくものである。アリストテレスよりニュートンの方が、またニュートンよりアインシュタインの方が、世界をよりよく理解していたことは、解釈の問題ではなく、 明白な事実である。このような進歩をもたらした方法がどのようにして確立したかを理解するためには、過去の科学を現在の基準で評価して、進歩に貢献した思考法は何であったか、発展を妨げた思考法は何であったのかを反省する必要がある

と反論している。「勝者が自らを正当化するための歴史」という歴史学の中で考えられるものとは本質的に異なる、という考え方を示している。

筆者による科学革命以前の化学的の方法に関する批判やコメントは、自然の現象を解明する時に目的を求めたこと、実際と考えたことの隙間を埋めるための「ファイン・チューニング」をしたこと、実験をしなかったことや実験をしてもその結果の不確実性の検証をしなかったこと。筆者はこのような批判やコメントが解決されてきたプロセスとしての「科学革命」を高く評価していて、コペルニクスケプラーニュートンなどを高く評価し、一般的に哲学者としては評価されているデカルトやベーコンは科学者としては低い評価をしている。

ニュートン万有引力の法則に基づいての理論に拒絶反応を示したデカルトの信奉者とライプニッツを、「数多くの観測結果を見事に説明する理論を考えもなしに否定してはならない」教訓であるとしている。それに繋がる話として、1920年代の量子力学の誕生の際、決定論の放棄(任意の位置と時間におけるその強さによって、その位置と時間に惑星や粒子が発見されるという確率の波の展開)の考えを受け入れられなかったマックス・プランク、エルヴィン・シュレーディンガー、ルイ・ド・ブロイ、アルバート・アインシュタインなど量子力学の考案者のことを書いている。宗教だけでなく、その時々の常識のようなものが科学的方法を貫くことの妨げになるということかもしれないなと思った。

科学の発見 (文春e-book)

科学の発見 (文春e-book)