人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの

ジンバブエでの出張中に読んだ。
最近、AIに関するニュースをよく見るようになった。将棋の電王戦、IBMのワトソン、GoogleDeepMind、身近なものでいえば写真アプリの顔認識など。

著者によると、今は3回目のAIのブームとのこと。第1次は1956年から1960年代、第2次は1980年代、そして現在が第3次。現在は「ディープラーニング」、「特徴表現学習」という領域が開拓され、人工知能が急速に発達する可能性がある。限定された領域では、人間を上回ることもあるが、人工知能が人間を支配するなどという話は笑い話にすぎない。足し算や引き算でとうの昔に人間が電卓に敵わなくなったのと違いはない。人工知能というものはまだできていない。

著者は「人工知能が人類を征服したり、人工知能をつくり出したりという可能性は、現時点ではない。夢物語である」としているが、それでも人工知能で変わっていくこととして以下のように書いている。

人工知能で引き起こされる変化は、「知能」という、環境から学習し、予測し、そして変化に追従するような仕組みが、これまた人間やその組織と切り離されるということである。いままでは組織の階層を上がって組織としての判断を下していた。個人が生活の中で判断することも、自分の身体はひとつであるから限界があった。それが分散され、必要なところに必要な程度に実行されるようになるのである。

人工知能が人間を征服するといった滑稽な話ではなく、社会システムの中で人間に付随して組み込まれていた学習や判断を、世界中の必要なところに分散して設置できることで、よりよい社会システムをつくることができる。それこそが、人工知能が持つ今後の大きな発展の可能性ではないだろうか。

このような考え方を踏まえて、人口知能の産業への波及、将来(15年くらい先)悪なる職業と残る職業、人工知能が生み出す新しい事業、人工知能の独占の恐れ、日本における人工知能発展の課題などを書いている。終章「変わりゆく世界 産業・舎兄への影響と戦略」はまた内容を辿っておきたい。

追記

3月に入ってAlphaGoが韓国のプロ棋士李世ドルイ・セドル)九段と五局の対戦を行い、4体一で勝ち越すというニュースがあった。

囲碁は、将棋よりもさらに盤面の組み合わせが膨大になるので、人工知能が人間に追いつくにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

とこの本には書かれていたが、もう追いついてしまった。