定家名月記私抄

日本史は好きだが、これだけじっくりと歴史史料に近いものをじっくりと読んだのは初めて。平氏の滅亡と鎌倉幕府の勃興という時代の変わり目の中で、京・公家側から見た不安や経済的な困窮の中で公家文化のある種最後の爛熟期のようなものを感じる。著者のこの言葉が印象的。

 私はこれまでに新古今集とその周辺の歌業について、その抽象美を日本文学史上の高踏の頂点であり、現実棄却の文学の祝祭であるというふうに書いて来た。歌に歌を重ね、本歌を微妙に方向転換をさせて、あるいは本歌を否定することによって、一層の効果を逆に引き出すなどの技巧を、美を形成する要素として肯定的に書いて来た。
 しかし、頂点に達したということは、別に言えば文学としては袋小路、ということである。その先にあるのはデカダンスのみであり、現実を棄却して文学によって文学をするものは、必ずや現実によって復讐されるのである。

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)