ネットフリックスの時代

出張先のバングラデシュで読了。

1年の半分以上を海外で過ごしていることもあって、なかなかテレビを見る機会はない。NetflixやHuluが日本でサービスを始め、Amazonがプライムビデオでプライム会員であればそのまま見ることができるというのも、なんか自分の守備範囲外の話である感じがする。という門外漢なので、「そうなんだ」と思うことが書かれていた。

例えば、音楽と同じように映像にもサブスクリプション・モデルが入りつつあるけれども、音楽と映像ではビジネスの方法が異なること。「主たる消費の形態として、コンテンツを所有させないビジネス」であることは同じだけれども、音楽は「愛着を持ったコンテンツを何度も消費したい人」が多いビジネス。一方、映像ビジネスは「同じ映像を1回しか見ない人が大半であることを軸にした興行」が主流のビジネス。その結果、

コンテンツを作る人びととコンテンツの流通を司る人びとの関係は、音楽と映像では異なる場合が多い。お互いが必要な存在であることに違いはないが、音楽においては「コンテンツを作る人びと」がつねに優位であるのに対し、映像ではそうならない。むしろ「映像を見せる場」を盛り上げるために、コンテンツを流通させる人びとが出資し、コンテンツ制作者が動く例が多くなる。

ということになる。

もう一つはハリウッドと日本のテレビ局とのドラマの作成手法の違い。日本のテレビ局の場合、「予算の出所が決まっており、その上限も「視聴率」という値から逆算できてしまうため、思い切った投資が難しい」。一方ハリウッドの場合、「視聴率からの収入はそこまで高いと想定されていない場合でも、他国への販売やディスクビジネス、VODなどを含めた多様な収益を考えることができる。そこで、出資をおこなう映画会社などが「ハイリスクハイリターン」を決意すれば、より大きな制作予算を準備して制作に入ることができる」。この違いが「ハリウッドは資金力があるから」ということにつながるわけで、収益を多角化することで資金力を得ているということを忘れてはいけない(通常言われているものの因果関係が逆である)。加えて、プロジェクトを始める前のリサーチの仕方にも差があり、Netflixの顧客にコンテンツを紹介するシステムはそのリサーチのコストを費用面でも時間面でもカットすることにつなげることも意図しているのではないかと著者は推測している。自分からは遠い世界だけど、なるほどなあと。