真田四代と信繁

NHK大河ドラマは出張中はほとんど見ることができず、今年は出張期間が長いので、ストーリーを追えるほどに見ることは難しそう。それでも、最近明らかになった史実をドラマに組み入れたりしていて話題になっているので、時代考証を担当されている先生のまだに真田について書かれた本を読んでみた。

国衆が純粋な家臣とは異なり、戦国時代を考える上で鍵となることが、1990年代以降の研究で明らかになってきた

国衆は戦国時代独自の存在で、真田氏の歴史を追うことは、戦国時代そのものを考えることにつながるとのこと。真田幸綱・信綱・昌幸・信之の4代と信繁の歴史を扱っていくのだが、ところどころ「そうだったのか」と思わせるものがたくさんあった。

  • 村落においても男子の元服時に「刀指し」という儀式を行い、彼が正規の村落構成員であることを示した。つまり中世は、百姓も刀・脇指を指していた
  • 江戸幕府が確立した結果、「非正規雇用」であった村落の「傭兵」は解雇され、「正規雇用」である武士が勤務先である城下町に集住することになった。つまり兵農分離とは、政策ではなく、平和の達成に伴う結果論と評価できる
  • 近年、関ヶ原の戦いの研究は急速に進んだ。白峰旬氏によると、西軍の小早川秀秋の裏切りが勝敗を決定づけたのは事実とはいえ、秀秋は逡巡せずにすぐさま裏切りを断行したのだという

それから、歴史を学ぶ上でそうだなと思わせる以下の記述。

最終的に豊臣政権が崩壊し、江戸幕府が成立するという歴史を知っている我々からすれば、家康が豊臣家滅亡に向けての布石を着々と打っていた、という歴史把握にはかえって慎重にならなくてはならない。結果からさかのぼって、説明をすることほど楽な話はないし、そこには多くの危険が伴うからである