日本人が知らない集団的自衛権

昨年の春から夏にかけてずっと議論されてきた安全保障関連法。9月19日に関連法が可決され時期を逸してしまった感はあるけれど、ようやく読み終えた。

40個のQ&Aに答える形で集団的自衛権日本国憲法日米安全保障条約国連憲章の解釈、実際に想定されるケース(政府の説明するケースのおかしさ)、マスコミの報道などについて説明や問題点の指摘をしている。

その中でもなるほどなあと思ったのは、第一点は、

日本国憲法前文国連憲章日米安全保障条約を、それぞれの整合性を図りながら読めば、日本国憲法は、個別的自衛権はもとより、同盟国であるアメリカとの間の集団的自衛権も否定しておらず、とりわけ「極東における国際の平和及び安全の維持」という集団安全保障についても否定していない、と考えることができる

という部分。これは「歴史認識とは何か」でも日本国憲法9条がパリ不戦条約(自衛戦争を除く国家政策の手段としての戦争の放棄)を起源とするという指摘にも感じたが、歴史の流れの中で過去の条約や取り決めとの整合性をたどっていかなければいけないなということ。逆に、憲法国連憲章日米安保条約をあわせて読むことによって、日米安保条約による日米の集団的自衛権の行使が、国連憲章の枠組みによって強く制限される場合があること。

それから第二点は、 第一次安倍内閣が安全保障の議論を始めた2006〜07年当時、日本の官僚機構は国連による「集団安全保障」と各国が行使する「集団的自衛権」を混同していたこと。政府が例示した具体的なケースで「集団安全保障」として扱われるケースを「集団的自衛権」として扱っていたことがあり、同様な間違いはマスコミによる報道にも見られること。

第三点は、

国連憲章集団的自衛権を国家の自然権と認めているのは、同盟関係によって侵略を抑止するためには、集団的自衛権の行使が前提条件となるため。したがって、日本の議論のように「集団的自衛権が戦争を起こしやすくしたのか」について知るためには、抑止が失敗して集団的自衛権の行使を迫られた例や、国連安全保障理事会常任理事国が自らの特権を悪用して行なった侵略の例を数え上げるだけでなく、集団的自衛権行使の可能性が侵略を抑止した例と対比する必要がある

という指摘。

日本人が知らない集団的自衛権 (文春新書)

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